クローネンバーグの息子 柳下 毅一郎

By Stranger Magazine
2022.10.13

デヴィッド・クローネンバーグと共に育つというのはどういうものだろうか?

インタビューをする機会があったら、一度は聞いてみたいことがある。もちろん、デヴィッド・クローネンバーグとは何度も会っているし、そのひととなりはわかっている。デヴィッド・クローネンバーグに会うときには気をつけておいたほうがいいことがある。誰にインタビューするときにも心がけておいたほうがいいのだが、とりわけデヴィッド・クローネンバーグには気をつけるべきだ。デヴィッド・クローネンバーグはたいそう親切で、知的で、人当たりが柔らかく、およそインタビューで機嫌を損なうようなことはまずないと言っていい。気をつけなければならないのはそういうことではない。デヴィッド・クローネンバーグがフレンドリーすぎ、こちらにサービスしてくれすぎることが問題なのである。というのもデヴィッド・クローネンバーグは抽象的な話が好きだ。ちょっとでもすきを与えると抽象的な話をしてくる。「現実とは……」とか「人間の認識とは……」といった哲学的議論が三度の食事よりも好きなのだ。デヴィッド・クローネンバーグにものを訊ねるときには、具体的な事物、画面に写っているモノについて質問しなければならない。テーマについて訊ねたりしたら、飛んで火にいる夏の虫で、「現実とは我々が認識しているものであり……」みたいな回答が帰ってくるのである。

興味深いのは、デヴィッド・クローネンバーグがまさに抽象的な思考を具体的な事物に落としこむことで映画を作ってきたということだ。クローネンバーグのボディ・ホラーとは、精神の変容を肉体の変容として表現したものにほかならない。主観の客観的表現により、あたかもそこでは肉体が変容しているかのように見える。だが、『ビデオドローム』の中で起こっているかのように見えることが、すべて実際に起こっているかどうかはわからないのだ。「何が起こっているのかって? 我々は自分たちが認識しているものしか見えないし、それが現実……」

さて、そんなやたらと理屈っぽく抽象思考好きな父親の元で、どんな子供が育つのだろうか?

デヴィッド・クローネンバーグ自身は、自分の両親がリベラルで非宗教的であり、自分のやりたいことになんでも協力してくれた、と話している。「もしわたしが科学に進もうと決めたら、父はすぐさま生化学の本を二〇冊プレゼントしてくれ、大賛成してくれたろう。そしてもし一年後科学をドロップアウトして…… 文学に進んだら、わたしは文芸批評の本を二〇冊もらえたろう。そして同じように喜んでもらえたろう」(デヴィッド・ブレスキン『映画作家は語る』)デヴィッド自身がこういう父親であったことは想像に難くない。つまり、家に子供が入ってはならない妙な実験室があって、そこで謎の秘密実験をしているようなことはない。むしろ自分が試 している奇怪な人体実験について、感情を交えずに淡々とその哲学的な意味を説明してくれる。あたかも、それがこのうえなく正常なことであると言わんばかりに。

ブランドン・クローネンバーグとはそんな子供である。

デヴィッド・クローネンバーグには三人の子供がいる。長女カサンドラは『裸のランチ』、『クラッシュ』などで助監督として働いたのち、監督・脚本の短編映画を作っている。下の娘ケイトリンは写真家として活躍したのち、デヴィッド・クローネンバーグ主演の短編映画『The Death of DavidCronenberg』を撮っている。完全にデヴィッドの影響だろう。ちなみにデヴィッドの甥アーロン・ウッドリー(デヴィッド・クローネンバーグ作品の衣装を担当している実姉デニースの息子)も『氷の国のスイフティ 北極危機一髪!』などの作品を持つ映画監督になっている。

だが、デヴィッド・クローネンバーグの息子であるというのは、ただ映画業界に入るためのコネクションができるだけのことではないだろう。それはもっと冷静で、知的で、そして狂っていることだろう。自分の狂気を解剖できるほどに。クローネンバーグの息子は父親の映画の意味を知っている。それはホラーではなく哲学であり、怪物は襲ってくるのではなくみずからの体内からあふれだすものであり、さらに言えばそれは自分の認識そのものであるかもしれない。デヴィッド・クローネンバーグの息子であるというのはつねに自分のアイデンティティを疑い、自分とは何かを、現実とは何かを問いつづけることである。冷静で、清潔で、真っ白で、光に包まれた狂気。『アンチヴァイラル』の清潔な変態、『ポゼッサー』のストレートな自己同一性への懐疑、それはいずれも「クローネンバーグの息子」にしか作れない澄み切った狂気なのである。

 

柳下 毅一郎(やなした・きいちろう/特殊翻訳家・映画評論家・殺人研究家)

一九六三年大阪生まれ。雑誌『宝島』の編集者を経てフリー。ガース柳下の筆名で『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(洋泉社/文春文庫)を町山智浩と共著。著書『興行師たちの映画史エクスプロイテーション・フィルム全史』(青土社)など多数。訳書にアラン・ムーア/ジェイセン・バロウズ『ネオノミコン』、ジョン・ウォーターズ『ジョン・ウォーターズの地獄のアメリカ横断ヒッチハイク』(共に国書刊行会)、監訳書に〈J・G・バラード短編全集〉(東京創元社)など。知られざる日本映画の世界を探求する〈皆殺し映画通信〉シリーズをウェブ連載し、またカンゼンより刊行している。


Stranger Magazine Vol2『特集:ブランドン・クローネンバーグ「アンチヴァイラル」+ α』は、以下のリンクから無償でご覧頂けます。

Stranger Magazine 第2号 PDF無償公開版

Stranger Magazine 第2号
特集は『ブランドン・クローネンバーグ『アンチヴァイラル』+α』。柳下毅一郎さんによる書き下ろしテキストを収録。プロダクションノートでは『アンチヴァイラル』製作の背景を詳細にご紹介しています。連載コーナーの『Strange Daze』では、Strangerのスタッフ4名による映画コラムや菊川エリアコラムが掲載されています。またゲストコラムとして文筆家の山本貴光さんによるテキストも収録されています。

【目次】
特集『ブランドン・クローネンバーグ『アンチヴァイラル』+α』
二人のクローネンバーグ|岡村忠征
『アンチヴァイラル』あらすじ|翻訳協力 板井仁
クローネンバーグの息子|柳下毅一郎
プロダクションノート|翻訳協力 板井仁

Strange Daze 2022年10月
いつも心に“MORE BRAIN!”|山本貴光
シネマ刺繍劇場|鈴木里実
映画(本)日記|小川原聖子
菊川のストレンジャー|八坂百恵
シネマティックファッションのすゝめ|瀧ヶ崎志帆

編集後記|岡村忠征

発行 ‏ : ‎ Stranger
発売日 ‏ : ‎ 2022/10/8
編集:岡村忠征・八坂百恵
ブックデザイン:宮添浩司
言語 ‏ : ‎ 日本語
PDF ‏ : ‎ 68ページ

Strangerのオンラインストアです。オリジナルデザインのT-shirtやマグカップ、Stranger Magazineなどの書籍や、上映作品の関連商品がオンラインでご購入頂けます。