By Stranger Magazine
2022.11.10
「この世に天国があるとしたら、それは大晦日に『ゲット・クレイジー』を上映している映画館だ」と言った人がいる。
由緒あるロックの殿堂、サターン劇場で開催される年越しライヴ。そこで繰り広げられる狂騒を描く『ゲット・クレイジー』が、本邦劇場未公開のまま、およそ40年が経ってしまった。80年代後半にビデオテープ及びレーザーディスクで発売され、一部に熱狂的なファンを持つ真性カルトムービー。しかし以降、DVDやBlu-rayと上位メディアが登場する中で、本作に再びスポットライトが当たることは無かった。
状況は海外も同様で、使用楽曲の権利がクリアできない、ネガと音声マスターが紛失などの噂がささやかれ(実際は後者だったようです)ソフト発売には至らず。ファンは、これもアナログ止まりのサントラ盤を聴きながら、あるいはVHSを所有するラッキーな人たちは、低解像度のボンヤリ画質にめげることなく繰り返し鑑賞しては、本作への愛情と渇望を募らせるのだった。2021年の暮れまでは。
2021年12月、米国の配給会社Kino LorberよりBlu-ray及びDVDの発売が実現した。この2Kレストア画質による復活を機に、ここ日本でも、長年のファンから、これまで鑑賞の機会に恵まれなかったり、SNSで熱く語る人たちを見かけて気になった映画ファンまで巻き込んでヒット。否、日本語字幕の付かない海外版ソフトの発売という条件を考慮すれば、場外ホームラン級と言って差し支えないほどの活況を呈した。
低予算ジャンル映画の制作現場を自虐的に描く『ハリウッド・ブルバード』で監督(ジョー・ダンテとの共同)デビュー、反体制学園ロックコメディ『ロックンロール・ハイスクール』を代表作に持つアラン・アーカッシュ監督が、ロックミュージックに囲まれて過ごした若き日々の経験をもとに、ノスタルジックな自伝的映画として企画されたのが『ゲット・クレイジー』だった。だが、いざ脚本執筆の段になって、制作会社は『フライングハイ』のようなコメディを希望。一瞬唖然とするアーカッシュだったが、そこはロジャー・コーマン門下のプロ。さっさと気持ちを切り替えて制作に臨んだ。
完成した映画はご覧の通り。全編に漲る音楽の魅力、表層的なギャグの連打、目が離せない奇人変人たち。楽屋落ち的小ネタをスパイスに、癖のある素材をサターン劇場という魔法の大鍋にぶち込んだら、奇跡のような映画が誕生してしまった。
『ゲット・クレイジー』の何がそれほど素晴らしいのか。その魅力を、言葉や文字に置き換えた時に覚える歯がゆさと不安に、思わず核心を衝いた禁句「とにかく観て下さい」と口走りたくなる。そんな衝動を堪えて、奇跡の正体に何とか迫ってみたい。
大晦日に開催されるロックコンサートと、水面下で進行する劇場乗っ取り計画。ストーリー的にはただそれだけなのに、映画が始まった瞬間から釘付けとなってしまう。その吸引力の一端を担うのはユニークな登場人物たちだ。ロック界の頂点に君臨するレジー・ワンカー。演じるマルコム・マクダウェルは、ろくに脚本も読まないまま撮影に参加、実に楽しそうにミック・ジャガー風パフォーマンスを披露する。失意の中、新マネージャー(見てのお楽しみ)の言葉に情熱を取り戻す姿は、散々笑った後だけに結構グッとくる。世俗を捨てて隠遁する伝説的ミュージシャン、オーデン役はロック詩人ルー・リード。プロの俳優でない分、これって素のままでは?と思える孤高の佇まいそれ自体が一つの芸。周囲の狂騒どこ吹く風のマイペース振りが真剣なボケと化している。ロックの楽しさ、華やかさを体現するガールズバンドのリーダー、ナダ。ハスキーな声に、高い身体能力(演じるロリ・イーストサイドはミック・ジャガーの振付を担当した経験も)で見事なアクロバットを決める姿がチャーミング。ステージに駆け上がってきた野郎を鉄拳で返り討ちにする豪胆さも頼もしい。そんな彼女が神出鬼没な謎のドラッグディーラー、エレクトリック・ラリーに思わず「独身?」と聞いてしまう可愛らしさ、惚れてしまいます。ドアーズの元ドラマー、ジョン・デンズモアの出演もロックファンには見どころだが、かつての音楽性からは想像もつかない弾け方。映画のタイトルを実践する姿に天国のジム・モリソン、何を想う。
巨大なキューピー人形の電飾看板が目を惹くサターン劇場。内部空間も含め、真の主役ともいえる独特な存在感が漂うこの劇場に、続々と集結する個性派ミュージシャンたち。無断入場者や人ならざる者までいる観客たち。興奮で爆発寸前状態の中、遂に始まる年越しライヴが楽しくならない訳がない。スパークスのゴキゲンなテーマ曲が鳴り響く中、SHOW TIME! の文字と共にホールになだれ込む人々の嬉々とした様子に、こちらも電流のような興奮が全身を駆け巡る。理性も知性もどこかに捨てて、脳みそ空っぽで楽しんだもん勝ちのパラダイス。映画内に充満する幸福感は、画面せましと溢れ出し、フィクションと現実の境界線を軽々超えて、映画を観ている側へと伝播。我々のいる場所もまた祝祭空間と化すのだ。
北米盤ソフトの発売で、それまでより遥かに多くの人が『ゲット・クレイジー』を観る機会に恵まれた。本作を観ながら2021年の年の瀬を過ごし、多幸感に舞い上がった人は日本にもそこそこいるはずだ。
しかし、本作に魅せられた新旧全てのファンが、ハッピーなその瞬間に、心に芽生えてしまった正直な気持ちを無視出来なかった。「この映画、師走の慌ただしい時期に、絶対映画館で観たい」。
一夜限りのライヴのために劇場に集う人々が、最高な場とそこに流れる時を共有し、その時空間が終われば、各々がそれぞれの人生へと帰ってゆく。『ゲット・クレイジー』が映し出すそれは、不特定多数の観客が映画館で映画を観る行為にそのまま重なる。
時に狂おしいほど愛おしく、追い求め、手中にがっちり掴んで抱きしめたい。そんな欲望に駆られるのに、決してその実体を捉えることは叶わず、ならば少しでも近づこうと、ソフトを手元に置いて何度も観たり、書いたり、語ったりせずにはおれない存在。場と時が紡ぎ出す、光と影の幻想である映画そのものを、本作は表現していないだろうか。『ゲット・クレイジー』こそは、まさに「映画」なのだ。
映画界入りする前は、幾多の伝説的ライヴが開催された劇場フィルモア・イーストのステージクルーとして働いていたアーカッシュ監督。ロック黄金期とも言える60年代後半、ニューヨーク大学で映画を学びつつ、青春時代をフィルモアで過ごした経験があればこそ、特別な空間の持つ力、ライヴのエネルギーと熱狂、幸福感を見事フィルムに焼き付けることが出来たのだろう。そしてアーカッシュは、祭りの後の一抹の寂しさをもまたよく分かっていた。先程までの狂騒が嘘のように静まり返ったホールで、ルー・リードがたった一人のために歌う「リトル・シスター」。このお祭り映画を締めくくるに完璧な、あまりにも美しいエンディングである。
68年にオープンしたフィルモア・イーストはしかし、音楽産業の急成長、巨大ビジネス化という変化の中、僅か三年後に輝かしい歴史に幕を下ろした。二度と戻らない青春時代を象徴するフィルモア劇場の閉鎖は、アーカッシュに世の無常を教え、高揚の後に訪れる喪失感で包み込んだに違いない。だからこそ、祭りの真っ只中、刹那の輝きがいかに眩しいかをアーカッシュは知っている。
ライヴが泡沫の夢であることを、図らずも描いたシーンがある。ようやくサターン劇場に到着したルー・リードと、新年を迎えライヴが終わってホールから溢れ出てくる観客がすれ違う時、観客の姿は現実感も希薄に透けて見え、ルー・リードもまた、そんな幻の中に飲み込まれてゆくのだ。恐らくスケジュールの限られたルー・リードとエキストラを同時に撮影出来ず、別撮りの素材を合成した結果、というのが真相だろう。だが、クレイジーでハッピーなライヴは夢だった、とでも言いたげなこの映像には、本作が持つ魅力の本質が宿っているように思えてならない。
コロナ渦で、大切な場所や、そこで過ごす時間を失うことを経験した我々にとって『ゲット・クレイジー』は、制作当時よりもその意味が重みを増している。永遠に在り続ける素敵な場所や、終わりのない楽しい時間。そんなものは無いという、当たり前だが忘れがちな事実を思い知らされた今の時代にこそ必要な映画である。さらには、そんな現実を前にして途方に暮れる我々に「心配しなさんな。たとえ何かが終わっても、それは新たな始まりなのだから」と励ましにも似た言葉をかけてくれたりもする。
「大晦日の夜に、全ての人々が武器を置いて『ゲット・クレイジー』を観れば、新年は争いごとのない平和な世界とともに訪れるだろう」と言った人がいる。冗談のように聞こえるが、『ゲット・クレイジー』を観たことがあるならば、案外これは本気だぞ、と分かるだろう。
涌井次郎(わくいじろう/輸入映画ソフト専門店ビデオマーケット店主)
1970年生まれ。新潟県上越市出身。東京造形大学在学中に8mm、16mmで自主映画制作をかじる。99年、ビデオマーケットを経営する会社に入社。2011年、会社の解散を機にビデオマーケットを個人店として引き継ぎ、営業を継続中。17歳の時、当時国内未ソフト化の「時計じかけのオレンジ」をどうしても観たくて輸入版で購入したのが、今の仕事の原点。
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柳下 毅一郎(やなした・きいちろう/特殊翻訳家・映画評論家・殺人研究家)
一九六三年大阪生まれ。雑誌『宝島』の編集者を経てフリー。
堀 潤之(ほり・じゅんじ/映画研究・表象文化論)
一九七六年生まれ。専門は映画研究、表象文化論。関西大学文学部教授。
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